あさことりの日記

8歳と0歳の育児中。

『食べることと出すこと』を読んで考えたこと

『食べることと出すこと』を読みました。

食べることと出すこと (シリーズ ケアをひらく)

食べることと出すこと (シリーズ ケアをひらく)

  • 作者:頭木 弘樹
  • 発売日: 2020/08/03
  • メディア: 単行本
 

 著者の頭木さんの、潰瘍性大腸炎の闘病記です。

潰瘍性大腸炎安倍総理の辞任の際に有名になった難病ですね。

 

こういう闘病記を読みたい心境になったのは、私自身次男の出産の際に切迫早産で約3週間入院生活をしたからです。

病気ではないし、痛みや苦しみもたかが知れてる。それでも、これまで1週間以上の入院をしたことがなかった私には、つらい3週間でした。

テレビを見ていると、点滴に繋がれず、自由に歩いて、楽しそうに飲み食いしている芸能人が出ている。自分にはあんな自由はもう訪れないのでは、と暗い気持ちになりました。

著者もこのように語っています。

それまではとても健康だった。カゼくらいはひいていたが、それ以外とくに大きな病気はなく、普通に元気だった。(中略)自分の身体をとくに意識したことがなかった。この「気にしたことがない」ということこそ、健康であることのいちばんの贅沢であると、いまはよくわかる。(中略)病院というのは、遠い存在だった。誰かが行くところであり、自分が行くところではなかった。行くとしても、遠い先のことだと思っていた。(P13より引用)

病気でない、という状態がすごく贅沢なことである、と気が付くのは、病気になってから。ということがよくわかります。

 

食べられないことのつらさ

潰瘍性大腸炎は、大腸が非常に過敏になっているせいで、ひどい時は絶飲絶食。症状がおさまっている間でも、厳しい食事制限があるようです。

飲めない、食べられないことが、人とのコミュニケーションにも影響すると筆者は言っています。

何もなしに面と向かうのはきついということもある。間に飲み物があって、あたたかく湯気を立てていたり、冷たいグラスに露がついていたりすることが、面と向かう緊張を緩和してくれる。ときどき飲み物を口にすることが、気まずさを薄め、会話をスムーズにする。(P100より引用)

普段あまり意識しませんが、確かに、人とテーブルを挟んで向かい合う時、間に飲食物がない状態だと、面接のようになるなと思います。

家族ですら、そうです。何もないと、「さあ話すぞ」と気合が入りすぎて緊張します。

友達と会う時も、「お茶しよう」「飲もう」と、「話す」以外の目的のもとに会います。飲食を介さずにただ会って話す、という経験って、そうそうないですし、あるとしたら事務的な話の時のみです。

この、飲めない、食べられないことによる二次的なつらさは、筆者の体験を読んで初めて知りました。

 

下痢のつらさ

お腹を壊して下痢になる、という経験は誰にでもありますが、それでも漏らすほどではない場合がほとんどです。やばいな、と思ってからトイレに行っても間に合います。

潰瘍性大腸炎の下痢は、「漏れそう」という限界の状態が突如として来る場合が多いらしく、筆者は会社で漏らした場合を想定して語っています。

嘔吐して、床一面に吐瀉物をぶちまけたのなら、まだましだ。嘔吐の場合も、かなり顰蹙を買うだろう。臭気もきついし、始末するのも汚くて大変だ。病気が伝染する場合もある。しかし、病気のせいなら、やはり同情もされるし、飲みすぎなどのせいなら激しく非難され嘲笑されるだろうけれど、それでも会社を辞めることを考えるほどではない。(P145より引用)

確かに、「激しく非難され嘲笑される」だけ、嘔吐はマシかもしれないと思えてきます。多分、下痢をぶちまけたら、誰も非難しないし、嘲笑もしない。その代わり、その話は今後職場のタブーとなり、非常に気まずい思いをみんなが背負うことになります。

お互いにとってトラウマとなり、それはお互いが離れることでしか、なかなか逃れがたいものがあるだろう。(P146より引用)

場所が会社でなかったとしても。友達の前で漏らしたとしても、もうその人とは会えなくなると思います。たとえ友達が「気にしなくて良いよ」と受け入れる言葉をかけてくれたとしても、心の底の気まずさは簡単には消えてなくならない。

そうやって、行けなくなる場所や会えなくなる人が増えていくことが怖くて、10年以上引きこもりの生活を続けてしまったと筆者は言っていました。

 

明るくいることを求められる

たとえば、骨折したとする。「いつもくよくよ悩んだりしているから、骨が折れるんだ」とか「そんなややこしい性格だから、複雑骨折するんだ」などと言う人はさすがにいないだろう。また、「ポジティブな考え方をしていれば、折れた骨はくっつく」という人もいないだろう。(中略)しかし、内臓の病気となると、たちまち、心のせいにされる。これはおそらく、内臓というのは、ブラックボックスなところがあるからだ。骨折ならかなり明確にイメージできるが、内臓の病気となると、イメージが曖昧になる。そして、悩んで胃が痛くなるとか、内臓のほうが心とのつながりを日常的に体験しやすい。(P244より引用)

病人が暗い様子でいることを、良しとしない雰囲気があるみたいです。

「病は気から」という言葉はあまりにも有名ですね。

他にも「笑いは免疫機能を活性化させる」とか「口角を無理に上げるだけでも脳は笑っていると勘違いする」など、病気と笑い(笑顔)は繋げて考えらることが多いです。

でも、病気で本当につらい時に、暗い顔を見せることが許されず、明るい自分を演じなくてはいけないのがつらい、と筆者は言います。「じゃあ無理して明るくしなければいいのでは」と思われるかもしれませんが、それだと周りが離れていくのです。

私も入院していた時にそれを感じました。看護師さんはとても明るく接してくれます。「つらかったら、もうやだ~!とか叫んでストレス発散したって良いんだからねw」と言ってくれましたが、そういう明るい患者さんが好まれるのかもしれません。入院していると(個室だと特に)看護師さんが全てなので、仲良くしたいし、少なくとも嫌われるのは嫌なので、半分媚びるように、私も明るく過ごすように気を遣っていました。

 

 病気から学ぶこと

ケガをしたことのない人はいないだろう。痛くて血が流れていたのが、血がかたまり傷口がふさがり、だんだん痛くなくなり、ついには傷が消える。だから、ほとんどの人は、身体に不調が起きて、それが治るというプロセスを、人生で何度も経験している。多くの人が「人生はなんとかなる」とか「時間が解決してくれる」というふうに思っているのは、そのせいではないだろうかと、つねづね思っていた。というのも、難病になって以来、私はそんなふうに考えられなくなっていたからだ。(中略)「今はつらくても、いずれ立ち直れる」という確信が心に根付く代わりに、「今はつらくて、そのままずっと立ち直れないかもしれない」ということが心に根付いてしまうのではないだろうか。私の実感としては、まさにそれを学んでしまったように思う。(P288より引用)

治る病気やケガしか経験したことがない人は、その経験から「明けない夜はない」と考えています。

でも、著者のように、治らない難病を抱えている人は、「明ける夜もあるし、明けない夜もある」という風に考えるようになるみたいです。

「努力は必ず報われる」とか「時間が解決してくれる」とか、よく聞く言葉だし、耳障りが良いのですが、それが必ずしも正論であるとは限らないということを覚えておきたいです。

 

幸福のハードルが下がる

私自身、入院中はちょっとしたことで幸福を感じました。点滴の副作用がつらく、動悸で呼吸が苦しかった時は、「朝起きて普通に呼吸ができる」ということがとても幸せに感じました。点滴の刺さっているところが痛くないだけでも幸せです。

シャンプースタッフさんにシャンプーをしてもらって幸せ。食後にケーキがついてきて幸せ。インスタントコーヒー飲んで幸せ。夜になったら好きなテレビ番組が放送されるから幸せ。それらのことが、「しあわせ・・・」と声に出してしまうほど、幸せなのです。

そんな些細なことで幸せを感じられるのって良いことのようですが、心のどこかでは「こんなことで幸せを感じる私って、残念だな・・・」とも思うのです。

筆者もこのように言っています。

元気で健康なら、鳥の声なんて、耳にも入らないかもしれない。「鳥が鳴いたからってなんだ、そんなどうでもいいことに注意を向けている暇はない、今日の会議のことで頭がいっぱいなんだ」 ところが、病気をすると、そうした仕事の成績だの競争だののほうが、よほどどうでもいいことになる。あいつとおれのどっちが地位が上かなんて、むなしいことだ。それよりも、鳥の鳴き声のほうがよほど心を揺さぶられる。(中略)こんなにも幸福を感じる生活は、幸福ではないのでは、という矛盾した気持ちを抱えている。(P296より引用)

 

まとめ

潰瘍性大腸炎になった筆者だからこそ語れる内容で、面白かったです。人の病気の話を読んで、面白いというのは不謹慎な表現かもしれませんが、筆者は「面白く伝える」ということにこだわって書かれているのが伝わるので、素直に受け止めて「面白い」と私は思います。笑えるというのではないですが、興味深くてぐいぐい読めました。

そして、筆者は「無知の知」を知ってほしい、と書いています。この本を読んで、「潰瘍性大腸炎(難病)についてよくわかった」というのは全くもって間違っています。結局は、体験しないとわからない。いくら言葉を尽くして説明してもらっても、わからない。それがわかったのが、この本を読んで学べたことです。

 

ちょっと気になったこと

すごく良本だったのですが、1つ気になったことが。

筆者の交通事故の体験で、工場の門から出てきた車に轢き逃げされた、ということが書かれています。その社名も書かれています。(ここには載せたくないですが)

運転手が身内の同僚だと後からわかり、結局和解したみたいですが、このような本の中で社名を出すことはどうなのかな、と思います。

一方的だからです。いくら相手が悪いとしても。関係ない本に載せるのは、フェアじゃないです。

本を読んでいると、こういうことが結構あります。そういうのを見るたび、著者に対してほんのちょっと「いやだな」という気持ちになります。