あさことりの日記

8歳と0歳の育児中。

33週切迫早産から36週出産レポ

36週0日で、2600gの男の子を出産しました。

33週4日に絨毛膜炎と診断され、翌日から2週間ちょっとの入院を経ての出産。

切迫早産で入院している方のブログが大変励みになったので、私も簡単に記事にします。

 

★33週3日

夕方から夜にかけて、出血。最初は生理1日目くらいの量の褐色の血、その後は粘性の茶オリ。

 

★33週4日

出血について不安だったので、朝から受診。絨毛膜炎と診断される。内服の抗生剤を処方され、1週間飲めば9割の人が治ると言われる。子宮頸管長3.3cm。安静指示もなし。毎朝の習慣の犬の散歩もokとのこと。

 

★33週5日

深夜1時頃、周期的なお腹の張り。陣痛アプリを起動し、カウント開始。10分間隔から、7分間隔に縮み、ようやく「もしや」と思い産院に電話。入院準備をしてすぐに来院するよう言われる。寝ている旦那を起こして車で送ってもらう。

 

2時半に到着し、陣痛室に通される。NSTで測定すると、5分間隔の張り。医師の内診で、子宮頸管長が2.8に短縮していて赤ちゃんも下がってきているので、ウテメリン点滴開始し入院しましょうと言われる。

ウテメリン2A15から開始し、段階的に上げていき、2A35までいったところで、張りの間隔が12分ほどに伸びたので、そのまま様子を見ることに。朝6時頃には、ほとんど張らなくなっていて、陣痛室でそのままウトウト。

このまま出産になっちゃうの?という恐怖から開放され、痛みも張りもない安らかな時間。

10時頃、車椅子で個室に運ばれ、助産師さんにいつ帰れるのかと聞くと、少なくとも1週間は入院だと言われ軽く絶望する。

夜、ウテメリンの副作用に苦しむ。手や足の震え、動機、微熱。1番辛かったのは、呼吸困難。肺がいきなり半分の容量になったような感覚で、浅い呼吸をせわしなく繰り返す状態で眠れず。これが1週間続くのは耐えられない。

 

★33週6日

明け方になり1時間〜2時間程度眠り、起きると副作用が落ち着いていた。初めて、呼吸ができることに感動した。

助産師さんに副作用の話を相談すると、症状を落ち着かせる漢方薬を処方された。

ウテメリンに慣れたのか、漢方が効いたのかわからないけれど、それ以来酷い副作用は出なくなる。

抗生剤が内服から点滴に切り替わる。朝晩助産師さんが入れにきてくれる。

 

★34週

入院して最初の数日は、長男に会えない寂しさ、点滴の痛み、食事とトイレ以外寝たきりというストレス、早産になることへの恐怖で本当に辛かった。

34週4日の診察で、未だ絨毛膜炎が陽性であること、ウテメリン2A35でようやく陣痛を止めている状況なので入院は延長しましょう、と言われる。最低でも36週、可能なら37週まで持たせたいので気長に頑張りましょうとのこと。子宮頸管長は5.0に延びていたのが救いだが、だからといって退院できるわけではないみたい。

1週間で退院と思っていたのが、2週間、最悪3週間に延びることが判明し、個室で泣く。私の落ち込みを察した助産師さんが慰めてくれる。

診察の後、点滴の差し替え。それまで2日か3日で腫れてしまって頻繁に差し替えていたが、この時差した点滴がベスポジだったため、最後の差し替えとなる。

この日から、夜寝る前に抗生剤の膣錠を挿入することになる。初めての膣錠が怖く、うまく入れられるか不安だったが、何とか押し込む。

 

★35週

入院生活に慣れてくる。寝たきり生活により便が硬く出にくくなったので塩化マグネシウムの下剤を処方してもらい、快便になる。

入院初期は点滴の痛みと差し替えが相当なストレスだったけれど、34週4日に右手の手首近くに刺した点滴が具合良く、QOLが大きく向上する。助産師さんは、点滴は柔らかい管が入ってるだけだから、手は普通に動かして良いよと言っていたが、なんとなく動かさない方が点滴がもつ気がして、食事もトイレも着替えもスマホもすべて左手だけで行う。

点滴が痛くない、お腹が張らない。それだけで、幸せな気持ちで眠りにつけるくらい、入院生活に慣れたし、幸せの域値が低くなっていた。

長男に会えるのは土日の面会(窓越しで5分間)だけだったけれど、案外寂しがっていない様子だったので私もそれほど辛さは感じなくなっていた。

毎日、午前中は寝て過ごし、午後はシャンプーだ着替えだNST だ回診だといった感じでそこそこ忙しく過ごす。あいた時間はテレビかスマホのゲーム。有意義に過ごそうとは全く考えず、とにかく1日をやり過ごす日々。完全に受動的な生活でありながら、そこそこ幸せを感じていることに逆に怖さを覚える時も。

とはいえ、1日でも早い退院の希望は捨てきれず、毎日のように助産師さんに訴える。退院するには絨毛膜炎が陰性になること、ウテメリンの量を徐々に減らして、点滴を外しても張らなくなることが条件らしい。助産師さんにお願いして度々ウテメリンを下げてもらうも、その後のNSTでは必ず張って、元に戻す。なかなか減らせない。それどころか一時張りが酷くなって2A45まで上がり、35週後半で2A40に落ちつく。

35週4日の検診では、またも絨毛膜炎が陽性。陽性である限り早産リスクが高いままなので、36週6日まで入院しましょうと言われる。36週0日から産んで良いのなら、そこまで待たずに退院したい、と伝えると、できれば37週まで持たせたい、その方が赤ちゃんの肺が成熟するので安心だから、と言われ、受け入れざるを得ない。

退院までにウテメリンを減らせたらベストだが、張り返しがあれば結局減らせないので、ギリギリまで一定濃度のウテメリンを投与し続け、産んでも良いタイミングで一気にやめる、という方法を提案される。

つまり、このまま2A40でウテメリンを続け、36週6日でいきなりやめる。そのまま陣痛が来なければ退院だが、ほぼ確実に陣痛が来るのでそのまま出産する、ということ。

長い入院生活の延長線上に出産があり、産むまで1度も家に帰れない可能性が高いことがわかり、個室で泣く。助産師さんが「帰りたいんだよね」「最初に思っていた日数からどんどん延びて辛いね」と共感してくれてさらに涙が出る。

抗生剤の点滴が終了し膣錠が別のものに変わる。抗生剤の点滴をやめるということは、絨毛膜炎の治癒を諦めるということなのかなと不安に思い、助産師さんに尋ねると、膣錠を変えて様子を見るんだと思う、と言われる。膣錠もうまく入れられている自信がなく、このまま絨毛膜炎が治らず早産が進行するのでは、と不安を感じる。

 

★35週5日

夜、腹痛がある。

いつもNST の時などにお腹が張り、痛みはありますか?と聞かれても、張りと痛みってどう違うの?と思っていた。張ればちょっとは痛いけど、これを痛みって言うのかどうか。それを助産師さんに聞くと、わからないならそれは痛みじゃないよ。陣痛の痛みは、絶対わかるから。と言われていた。

今回、これが痛みか、とはっきりわかった。生理痛のように、下腹部が鈍く痛い。張りとは別に、しっかり認識できる痛み。

周期的ではなく、10分から30分置きの張りと、どんよりした痛みが度々あるという感じで、ググると前駆陣痛の症状と一致したため、出産につながるものではないと判断し、ナースコールはせずそのまま眠る。

 

★35週6日

朝起きても何となくお腹が痛かったが昼頃にはまた落ち着く。

夜21時、下腹部痛を伴った周期的なお腹の張りが始まる。最初は15分程度あいていたのが、すぐに7-8分置きに変わる。張りと張りの間も下腹部痛はおさまらない。ナースコールで助産師さんを呼ぶ。痛みが腰の方にもくる。本陣痛に繋がりそうだね、と言われる。

ウテメリンを徐々に増やし、2A55にする。23時半、破水。

ウテメリンの上限は2A60だが、もうすぐ36週に入るのでこれ以上は上げずに、2A55の投与を続けて様子を見ましょうと言われる。

出産となる可能性に備えて車椅子で分娩室に移動し、分娩着に着替える。

ウテメリンを増やしたがそれによる副作用の増強は特にない。陣痛の間隔は、5-6分を維持。

 

★36週0日

深夜0時を越え、36週に入る。分娩台に上がった時から、このまま出産するという覚悟はできた。33週で分娩室に入った時のような不安はなく、穏やかな心境だった。

ただ、助産師さんとしては、人手の都合から、医師や日勤の助産師さんが揃う朝6時以降まで、出産を引き延ばしたいとのこと。

私も、その時点では、この程度の痛みなら朝まで持ち越せる、と思い、悠然と波を乗り過ごしていた。というか寧ろ、在胎してくれる最後の時間に幸せを感じていた。陣痛の波が来るたび、お腹の赤ちゃんを強く意識し、一緒に頑張っているな、と温かい気持ちになる。

が、その余裕もつかのま。2時を回る頃から、「これはなかなか辛いぞ」と感じ始め、3時になり耐えかねてナースコールする。「6時まで持たない気がするんですが...」

助産師さんは、優しく「持たなくても大丈夫だよ、その時は産んじゃいましょう」と笑顔。いや、その割にウテメリンを高濃度で投与し続けて陣痛止めようとしているじゃない...。

ウテメリンを止めればすぐに出産になる。出産は怖い。けど、この痛みも我慢できない。とりあえず、耐えられるところまで頑張る?

ゆっくり吸って、ゆっくり吐く。という呼吸法を続ける中、次第に痛すぎて「あああーっ」とか「ううーっ」とか声を出しながら、4時まで耐える。

どんどん大きくなる痛み、そして下腹部の痛みだけでなくお尻にも強い力が入り、このままでは気を失う、と察知し、ナースコールして「もう無理です、産まれそう」と言う。

助産師さんの内診で、「子宮口があまり開いてないから、まだ産まれないよ」とのこと。ただ、ウテメリンを切ったらすぐ産まれそうだね、ということで出産準備に入る。

5時、ウテメリンを切る。子宮口は5-6cm。横向きでやっとのこと陣痛に耐えていたのが、出産のため仰向けになるよう言われ、なった瞬間痛みがうまく逃せなくなり、「無理!!痛い!」など叫ぶ。痛すぎて呼吸が浅くなりがちになり、口に酸素マスクが取り付けられる。酸素マスクがつくと少し楽になる。

子宮口7cmになる。おしっこが溜まっているから導尿しましょう、と言われる。導尿も、この痛みの前では取るに足らないだろう、と思っていたけど、チューブを入れる時は痛かった。勝手におしっこが排出され、出し切ったところで抜いてくれる。

そこから、子宮口全開までは早かった。間もなく医師も到着し「もう産んでいいよ」と言われる。陣痛の波が最大になったら、1度大きく吸って吐いて、また吸ってから思いっきりいきむ!硬いウンチをする時みたいに!と言われ、痛みに耐え続けて体力があまりない状態で、思い切りいきむ。が、なかなか出てこない。まだなの?どうしたら産まれるの?と若干パニック。意識しないと呼吸も浅く早くなり、助産師さんに何度も「ちゃんと息吸って赤ちゃんに酸素送ってあげて」と言われる。

そこから何回目かの波が来た時、ウンチを出す時の要領で思い切り力を入れると、赤ちゃんが出てくるのを感じた。助産師さんに、「長く長く!続けて!」と言われる。やばい股が裂ける、と感じつつ、そこでやめるわけにもいかないので、呼吸しながらもひたすら力を込めていきむ。

頭が出たところで、助産師さんに「もう(バーから)手を離していいよ、いきむのやめて、胸の前に両手当てて」と言われる。まだ産まれてないのにいきまないでいいの?と思いつつ言われた通りにすると、間もなくデュルン!と産まれたのが分かった。

産まれましたよー!と言われ、赤ちゃんをお腹に乗せてもらう。終わったことへの安堵感で放心していたら、「赤ちゃん触ってあげて」と、手を誘導される。ヌルヌルとした感触。その時点では、可愛いとか嬉しいとかはなく、とにかく無事産めたことをかみしめる。

今回は会陰切開なく、裂けることもなく、縫合なし。切開をした第一子より400g重いのに、不思議。経産婦だから?

産後の処置は胎盤を出すだけだったが、これは馬鹿にならない痛みだった。

第一子では、赤ちゃんが産まれた直後自然に胎盤も出てきたイメージだったけれど、今回は確実に手動だった。助産師さんがお腹をグリグリして、胎盤が出てくるのを待つ。このグリグリが、「痛い痛い痛い」とつい言ってしまうくらい痛い。出産終わってもこんなに痛い思いをするのかよ、と思わずにいられない処置だった。

 

その間赤ちゃんはきれいにしてもらい、体重を計ってもらう。産後処置が終わったら、タオルにくるまれ私の横に来た。その時、やっと落ち着いて幸せを感じた。一睡もせず出産になり、疲れているはずが、頭はスッキリしていてとにかく幸せな2時間を過ごせた。

 

...と、めちゃくちゃ長文になりましたが、読んでくださってありがとうございます^_^

陣痛、出産、もちろん痛かったけれど、ウテメリンを切ってからは1時間もたたず誕生!という安産でした。

お股も切れていないので、1人目の時より予後も良好です。

切迫で入院中はネガティブな方向に考えてしまいがちですが、切迫の人はお産が始まっちゃえば進行が早くスピード出産、とよく言うので、それを信じて乗り越えて欲しいです。

 

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