スマホ利用者には耳が痛い、依存症ビジネスの本
アダム・オルター著『「依存症ビジネス」のつくられかた 僕らはそれに抵抗できない』を読みました。
今現在、私自身が依存しているものはありません。
ですが、思い返してみると、いろいろな物に依存していたことはあります。
小学生の頃は、PSのゲーム「クラッシュバンディクー」。
中学生の頃は、知らない人とのチャット。
その後は、mixiに始まり、LINE、ブログ等のSNS。ママスタや毒女ニュース等、芸能人の悪口を言うだけの掲示板を頻繁にチェックしていた時期(今思うと病み期)もあります。
ちょっと手があくとスマホアプリのゲームを立ち上げていた時期もありました。
今後も、いつ/何に依存するかわかりません。
なぜ依存症になるのか
依存症は特別なものではなく、誰でもなる可能性があります。
では、なぜ依存するのか?
脳が快感を感じたら?
本書にはこのように書いてありました。
「自分の心理的な苦痛をやわらげる手段としてそれを利用することを学んでしまったときに、人はそれに依存するのだ。」(p80)
「思春期に依存症にならなければ、のちに発症する確率はかなり低い。理由は多々あるが、とりわけ大きい要因は、この時期の若者は自分の能力ではまだ対処しきれない責任を無数にしょわされる点だ。背伸びして無理をしつづけなければならない時期に、その苦痛をまぎらわせる物質や行動にふけることで負担を軽くできると学習してしまうと、それが依存症になりうる。」(p81)
ああ、私は思春期の頃にパソコンに出会い、知らない人とチャットをすることで色々な不安から逃れられていたな。その経験から、今もブログやSNSを見ることで不安な気持ちを癒そうとしてしまっているんだな。そんなことを思いました。
好きだから依存するわけではない
面白いな、と思ったのが下記。
「好きなだけでは依存症とは言わない。依存症患者というのは、摂取している薬物が好きな人のことではなく、むしろ生活を破壊する薬物への嫌悪感をつのらせながらも、たまらなくその薬物を欲しがる人のことなのだ。」(p97)
SNS依存も同様で、本人はSNSを嫌悪の対象として見ながらも、つい覗かないでいられないらしいです。
常に目標を持ち続けるのも依存症
これは意外でした。今まで読んできた本では、目標を持つことは良いことだと書かれていたから。頑張れば達成可能な目標を設定し、達成したら次の目標をつくる。そういうスモールステップの繰り返しが、とんでもないところに到達する近道だ、と。
それをゲームのように楽しめている時は良いのですが、目標を達成する過程がつらく苦しいもので、努力して達成してもあまり喜べず、そのまま次の目標を設定する、という繰り返しになっている場合は、「目標依存」になっているそうです。目標を達成していない期間が人生のほとんどを占めるので、自分はだめだ、とか、自分は不幸だ、という心境になりやすいのだとか。
「目標をよりどころに生きるのではなく、システムに沿って生きていくことだ。彼が言うシステムとは、「長い目で見て幸せになれる確率を高める活動を、日常的に行う」という意味である。」(p133)
1日1日、充実した日を積み重ねるために、漫画家なら毎日1コマ書く、作家なら毎日500単語書く、といった具合でシステム化すると良いらしいです。
依存症にならないために
依存症というと、薬物・ネット・スマホ・セックス等が思い浮かびますが、対象は限定されていないということがよくわかりました。
何に対する依存症になるかにより、対処方法は変わりますが、基本的には、下記の2点が有効だと思います。
・依存の原因を知ること
→心配事や悩み事を忘れるために何かに依存している場合がある
・環境を変えること
→環境変わらずして依存対象だけ取り去るのは難しい。
あまりにひどい依存症の場合は引っ越しも視野に入れる。
我が家には子どもが2人いて、今後何かしらに依存することが出てくると思います。そういう時に、上記の対処を心掛け、健全に育っていってほしいです。